転職して地元の近くに戻ってきた話

東京で10年働いた後、転職を機に地元の隣県に戻ってきた経緯と、その決断に至った理由、今の会社について

なぜ転職を決意したのか

働くエンジニア

皆さんは零細企業の会社員と聞いてどのような印象を持たれますか?
低年収・人手不足で忙しい・待遇が悪い、などネガティブな印象を持つ方が多いかと思います。
この記事では、今は零細企業で会社員をしている私の職歴について記事にします。

前回までの記事で少し触れましたが、私は転職を機に東京から地元の隣県に戻ってきました。
できれは地元の近くで就職したかったのですが、IT 系の多くは東京での求人でした。
都会が苦手な私ですが、新卒で入社した会社は地元の近くにも支社があり転勤のチャンスもあったため入社をしました。
(もちろん、就職活動の中でその企業に魅力を感じたというのもあります)

入社した会社は気に入っていたのですが、何年目かに他の会社と合併を行うことなります。
相手企業は大手企業の子会社でした。合併して大手企業の子会社になったものの、現場としては大きな変化はなく数年が経ちました。
転機となったのは、親会社に吸収合併されることになり所属していた企業が消滅することになったことです。
現場レベルでも変化が現れ、数年たっても親会社には愛着が湧きませんでした。

加えて吸収を機に、地元近くの支社も閉鎖され会社に所属したまま地元近くに帰るという道が絶たれていました。
コロナ禍以前の出来事で、当時はリモートワークも浸透しておらずその道もありませんでした。

こうして会社への愛着も無く、地元に帰る道が無くなった 10 年目に、アテも無いまま会社を辞めて地元に帰ろうと思い立ちます。
会社にも退職の意思を伝え、引継ぎなどで取引先に挨拶回りしました。

ある会社の社長にこの話をしたところ、うちなら全員リモートワークでどこでも仕事が出来るからよかったら来ないかと声を掛けて頂きました。
この社長さんですが、元は大手企業に勤めていて、その時から取引があったのですが起業され社長になられました。
起業されたあともお仕事を頂いて取引が続いていました。
このありがたい提案を受けて、晴れて転職して地元の方へ帰ることが叶いました。

私の職歴

冒頭に書きましたが、今の会社は 10 人にも満たない零細企業です。
ですが驚くことに一般的な零細企業のように低待遇ということは無く、むしろ破格の好待遇です。

新卒入社(東京・中小 SIer)

大学卒業後、新卒で東京の大手 SIer に入社しました。

  • 金融系システムのフレームワーク開発・保守
  • 主に Java を使った業務アプリケーション開発

年収は残業込み300 万円台でした。

会社合併

入社 2 年目になんと他の会社と合併することになりました。
相手企業はとある上場企業の子会社でしたが、本社は私が新卒入社した本社がそのまま使われることになりました。
私は客先に常駐していましたが、現場は変わらずそのまま過ごすことになりました。
元の入社した企業の色もそれなりに強く残った状態でした。

年収はわずかな昇給程度で大きく変わらず、300 万円台のままでした。

吸収合併

合併して数年後、相手企業の親会社に吸収合併され、所属企業が消滅することになりました。
吸収されたあとは、徐々に元の会社の色も消えていきます。
現場もいくつか変わり、そのたびに上司も変わりましたが、どの上司も元の会社の上司のようにウマが合う人はいませんでした。

同じ年代の社員と業務内容が違うにもかかわらず給料水準はほぼ同じです。
せめて待遇が良くなれば気持ちも変わったかもしれませんが、それもありませんでした。
正当に評価がされない不公平さに段々と不満も募っていきます。
退職直前の年収は400 万円前半でした。

転職後(本社は東京・住居は地方へ)

東京から地方へ移るにも関わらず、年収は一気に600 万円台となりました。
業務もフルリモートで行っています。
月に 1、2 回は東京へ出張し、取引先と打ち合わせをしていましたが、コロナ禍がやってきます。
Web 会議が浸透し、出張することもなくなっていきました。
これまではリモートワークで仕事していると言っても理解されることがほぼありませんでしたが、コロナ禍を経てリモートワークへの理解も広がっていきました。

転職後の変化

新しい生活

転職してから数年が経過しました。振り返ってみると、この決断は正解だったと確信しています。

良かった点

  1. 通勤ストレスから解放

東京で勤めていた頃は、お金もなく千葉に住んで片道 60 分以上、満員電車に揺られる日々でした。
今は自宅で仕事をして通勤・帰宅のストレスから解放され、2 時間も時間を有効に使えます。

  1. 生活の質の向上

給料が上がった上に地方で家賃も下がり、間取りも広くなりました。
独身にもかかわらずファミリー向けマンション 2LDK で生活しています。
部屋探しの様子については、また次の記事で紹介したいと思います。

東京にいたころから自転車が趣味でしたが、こちらでは自転車で走っても鼻の中が黒くなることがありません。
(東京では排気ガスの影響で家に帰るころには鼻の中が黒くなります)
自然も豊富で、自転車視点での環境にも恵まれています。

  1. 地元への距離感

陰キャな性格もあり、地元を出た後は友人はあまりできませんでしたが、高校までの地元の友人は何人かいます。
高速を使って 3 時間近くかかりますが、飛行機を使っての帰省と比べると気軽に移動できます。
以前は 2、3 年に一度帰る程度でしたが、今は年に数回帰るようになっています。

  1. 待遇改善

前の会社と比較して待遇も改善されました。
零細ゆえに、自分の成果が会社への貢献に直結します。
ありがたいことに成果も認められて、順調に年収も上がっています。

お給料以外の福利厚生も、以前の会社とは比にならないほど恵まれています。

悪かった点

これについてはありません。
もともと都会的な暮らしをしたいわけでもなかったので、本当に帰ってきてよかったと思います。

零細企業なのになぜ好待遇?

零細企業なのになぜ待遇に恵まれているのか、理由をいくつか挙げます。

社長が凄い

まずは何と言っても社長の力が大きいです。
人脈や営業力、社長としての器が大きいと感じています。
私は現場の人間で営業や経営に関しては全くできないので、私にできない部分は社長に頼りっぱなしです。

会社のスタンス

社員をとても大事にしていると実感しています。
社員の意見も真剣に取り上げて、形にしてくれます。

また、格好よく言えば成果主義で、見合った報酬をきっちりと出してくれます。

成長を捨てたリスク

会社というものは、会社そのものの成長も重要だと思います。
利益の中から会社自身の成長投資を行うのが一般的です。
ですが、うちの会社に関しては社長を継ぐつもりはないようで、利益のほとんどを社員や福利厚生に還元しています。
そのおかげで、一般的な年収よりも恵まれた給料を頂いています。

その代わり、いつまで社長が会社を続けるかわかりません。
社長が辞めると言えばそれまでで、大手のような安定性は皆無です。
もちろん、この点は契約前に話をされましたし、会社を畳む際は余裕をもって伝えると言っています。
会社の成長はなくとも自分は成長させないと、会社が解散したあと路頭に迷うというリスクがあります。

まとめ

東京での 10 年間は、私のエンジニアとしての基礎を作ってくれました。
そして、転職によって得た地方での生活は、人生の質を大きく向上させてくれました。
独身だからこそ、自分の価値観に従って大胆な決断ができたのかもしれません。

次回は、今回の記事にも関連のある転職の際の賃貸探しについて記事にしたいと思います。 転職や地方移住を考えている方の参考になれば幸いです。